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REn-COn ~茨城のチーム医療にbreakthrough~
茨城県立医療大学の学生団体「REn-COn」は大学の枠を超えた学びを通していろいろなことを吸収し発信することを目的としています。全国医学生ゼミナール(医ゼミ)にも参加しています。
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こんにちは。小町です。
アップが遅れましてすみません。
長崎県の2号被爆者さんにインタビューをさせてもらいました。
もう一度ここで感謝申し上げます。

さて、今回のことをさらっとそれとなく深くつづりたいと思います。


Kさんは当時中学4年生(今でいう高校1年)のときに被爆
2号被爆者というのは2週間以内に爆心地から2キロ以内に入市して、
残留放射線に被曝した人のこと

Kさんは8/9に長崎県に原爆が投下されたことをその時は知りませんでした。
情報が入ってこないのです。

日本の敗戦が玉音放送で流され、20日ごろに長崎県の実家のほうへ列車で向かったそうです。
ですが、そこは何もない焼け野原でした。
「人は生きているの?」

そう思ったそうです。

津波は押し寄せて建物を粉砕した後は
建物の瓦礫(今回震災で被災した方には失礼な言い方ですが)が残りますが、
それに加えて火災が発生したため灰しか残っていない、緑もない風景なのだそうです。

私はいま一人暮らしですが、会えないと思っていた(軍隊にはいることは国のために戦うことなので)
家族に会えることを期待して、喜んで帰郷していたら、
何もない、どこまでも、何キロ先も本当に何も見えない焼け野原が広がっていたら、
どれだけ絶望的だろうかと思います。

Kさんは母、弟、妹2人をなくしました。今は父、姉2人もなくなっています。
家族の所在が分かって、そちらに向かったそうです。




母と弟の遺骨は、箱に入れられて箪笥(たんす)の上に置いてありました。
妹は布団に横たわっていて動けません。



当時、生き残った妹さんは、爆心地から100メートルの地点で被爆して、
一緒に遊んでいた2人の妹がなくなりました。(Kさんは3人の妹がいました) 
2人は途中に埋められてきたそうで、1ヶ月後に掘り起こして材木(建物の残骸)を集めて葬ったそうです。
Kさんは、「2人の顔を見れなかった…」と言っていました。


でも、「幸いだった」とも言っていました。

なぜかというと、遺骨が見つかるのは多くはなかった、というよりも、
誰が誰なのか分からないのです

それだけ、
強烈な爆風、熱線、放射線がふりまかれて…
それと、当時は夏休みの時期で、
子供が外に出て遊んでいる子も多く、居場所が分からないというのもありました。

Kさんは
原爆は日本に落とす必要のないものだった
悪魔の武器
そう言っています。

原爆のせいでたくさんの人がなくなりました。
帰郷が墓参りになってしまいました。
いまだに苦しんでいる人もいます。
立ち上がっている人もいます。
けれど、その人たちは、もう長くはいられません。
次の世代に、後世に残していかなければなりません。


最後にKさんからみんなへのメッセージを書いて終わりにします

戦争の恐ろしさを知って、戦争をやめることを本気で思ってほしい。

今の子供たち、戦争を知らない子供たちは、平和を粗末に扱っているような気がする。
平和になるためにどれだけ多くの人のが失われたか、
昔のことをきちんと知って、
同じ過ちを繰り返さないように願っている。
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ありがとう!小町の思いが伝わって来て、特にこの前の『歴史から逃げない』っていうメッセージが印象に残ってるよ!戦争や平和についてもこれからもっと深めていこうね!
[2011/05/26 22:19] URL | #- [ 編集 ]

↑上のコメントは私でした;;
[2011/05/26 22:25] URL | nihe #- [ 編集 ]
被爆はね、ある意味、世界遺産
日本人の私たちがやるべきこと、受け継がなくてはいけないことですね。

ということで、この感想をシェアさせていただきます!

(^^ゞ

[2011/05/31 03:58] URL | 小僧9号 #xtc7akX2 [ 編集 ]














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